あきらめたらそこで終わり

今日は四街道で行われた「よさこい道2014」に参加した。親しい友人達が、手作りで企画・運営しているこのイベントが僕は大好きで、毎年楽しみにしている。審査もなく、他のチームの演舞を間近で見ることができるのでいつものんびりくつろぐように参加してきた。

だが、今年は事情が違った。

昨日の練習時に、振り付けとフォーメーションの変更が行われた。その変更内容は単なる「修正」ではなく、ほぼ新たな振り落としに近いほど、大きく変わるものだった。当然メンバーはついて行くのがやっと。特に序盤と終盤の構成は、全体的に大きく変わった。踊るたびについ、以前の振り付けが出てきてしまう。かけ声も変えなくてはならない。当初はステージ演舞まで変更する予定だったが、時間がなくなり、とりあえずパレードのみを変更し、ステージは旧バージョンで踊ることになった。

今朝は少々早めに集合して、パレードの演舞を中心に振りの確認を行った。何度も何度も怪しいところを繰り返して練習するが、ミスが続いた。

時間が来て、心に不安を抱きながら最初にステージを2本踊る。何度も踊り慣れたはずのステージ演舞も、次のパレード演舞が気になって100%の力が出し切れていない。

昼休憩を挟んで、いよいよ新・パレード演舞だ。当然MCも変更したが、イントロ部分は踊り子の失笑を買い、今ひとつ乗り切れない。でも、やるしかない。自分的には力の限り出し切った。踊り子も今できる力は尽くした。しかし、振りのミスもつづき、フォーメーションは乱れ、声は出ていなかった。終わって踊り子に感想を聞くが誰一人として納得しているものはいなかった。次の動作のことばかり考えて、演舞に気持ちが入らなかったという。こんな気持ちで演舞を終えるのは初めてかも知れない。

舞ちはらはいま、大きな試練に立ち向かっている。旧来の振り付けに限界を感じ、新たなものに変更した。それが吉と出るか凶と出るかはまさに自分達の気持ち次第だ。新たな振り付けを信じて、そこに命を吹き込むのは僕らの役目だ。絶対にあきらめない。

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ひまわりフェスティバル

朝から夏の残暑をおもわせるような、照りつける日差しの中、ひまわりフェスティバルに参加した。今年からはフクダ電子アリーナだけではなく、蘇我駅を超えた菰田公園にも会場が設置され、踊り子はその間を歩いて移動することになった。

舞ちはらは先週土曜日に大幅変更したばかりの、パレード演舞を披露することを念頭に置いて、朝からみんなで必死に復習。

最初に菰田公園でステージ演舞。校庭のグランドのような砂でできた公園のフィールドは、カンカン照りの太陽で乾き、ちょっと踊っただけでももうもうと砂煙が上がり、しかも滑りやすかった。メンバーもかなり踊りにくそうだったが、そんな気持ちを見せないように気持ちをこめて踊った。

フクダ電子アリーナに戻ると、スタッフにパレード演舞はできないと伝えられる。今回は広場の真ん中で別のイベントが行われ、パレードコースが確保できないのが理由だそうだ。事前によく確認もしないで、例年通り2回目の演舞はパレードだと思い込んでいた僕ももうかつだった。

仕方なしにステージ演舞を行う。とはいえ、5月以来踊り続けてきたこのステージバージョンも次回までには変更が入る予定。ある意味最後の演舞だ。

しかし、僕はあまり演舞に集中できなかった。直前に行われた総乱舞を2曲連続して踊ったので息も上がっていた。また演舞中は場当たりもやってないので列は乱れが気になり、鳴子や扇子の落とし物が気になり、自分のマイクの「返し」ほとんど聞こえないことにも惑わされた。おかげでMCもかけ声も何回も間違えて自分なりに納得いくものではなかった。

閉会式ではメンバーのサエが個人賞をいただいた。彼女はこのひまわりフェスティバルでは2度目の受賞となる。高3の彼女は受験生で、今大変な時期なのに踊り続けている。終了後のミーティングでも「いろいろ悩むことは多かったけど、これで吹っ切れました。これからはみんなを引っ張って行けるようにがんばります。」と話してくれた。とても頼もしく見えた。

終了後に利ゑ蔵のりえ先生の提案で、2つのチームが輪になって、昨年この時期になくなったたかちゃんのために「三三七拍子」でエールを送った。

さあ、これからが舞ちはらにとっての本当の正念場だ。短期間で大規模な改造をしなくてはならない。気持ちを新たに取り組もう。

 

 

振り付け変更

今日は舞ちはらの練習日。振付師のまさるくんもやってきてくれた。鎌ヶ谷の悔しい思いを胸に、新たな試行錯誤が始まった。

いままでシーズン中に、この9月の半ばを過ぎてから振り付けやフォーメーションを大幅に変更したことはなかった。なぜなら、秋のシーズンからは大きなイベントが続き、変更には大きなリスクが伴うからだ。しかしそれを背負ってもなお、僕らは上を目指したかった。

今日は全ての練習を、動きの鈍かったパレードの前半に集中した。これからの秋のイベントはすべてパレード審査があるので必ず強烈な印象が必要となる。色合いを確認するため、全員が衣装を着て、何パターンもの振り付けやフォーメーションを試して踊った。比較的動きの少なかった前半の演舞を、観客からはどのように見えるのか、ステップは左右どちらから出るのか、腕はどちらから振るのか、かけ声をどのようにするのか、旗はどのようにするか、新たなMCのセリフを入れるかなどなど、さまざまな側面から作り直していく。まるで別の演舞のように変わったパレードの前半はとてもエネルギッシュでパワフル。でも、当然今日習ったばかりなので荒削りでギクシャクしているが。

最後に「とりあえずこの流れで」というパレード演舞を本気モードで踊ってこの日の練習は終わった。ほぼ3時間。踊り子はぐったりと体育館の床に転がりあえいだ。さまざまなアイデアを繰り出すまさるくんもすごいが、それに応えてしっかり踊ってくるメンバーには感心した。しかしこれから踊り込んで自分達のものにしなくてはならない。そしてまだ完成にはほど遠く、またこれから変わることもあるだろう。しかし、僕らは石にしがみついても乗り越えたい。努力の先にしか栄光はないのだから。

 

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「YOSAKOI for中年ライダーさん」

今日は古くからの友人〜中年ライダーさんを励ます会に参加した。ライダーさんは舞ちはらがまだ発足してまもない頃から応援してくれていた「よさこいカメラマン」さんで、リバティ元気組の行事でも仲良くさせていただいていた。よさこいのイベント会場で出会うと「舞ちはらの演舞いいよ〜」と必ず褒めてくれた。写真もたくさん撮っていただいた。お酒を飲むとますます饒舌になって、よさこい談義がつきなかった。

そんな彼に最後にあったのが昨年のYOSAKOIかまがやで、その時すでに杖をついていた。その時は知らなかったのだが、彼は「多系統萎縮症」という難病をわずらっていたそうだ。その後病気の進行とともに体を動かすこともままならなくなり、会社を退職し、実家を去ってお姉さんの家で生活をしている。完全な治療法もないとのことで医者からの残された命が長くないことを宣告されているそうだ。それを聞いたたんぽぽさんを中心に、かつてのリバティ仲間が再び集まって、彼をよさこいで励まそうという催しが企画された。

会場に着くとすでに、懐かしい顔がたくさん集まっていた。すでによさこいを卒業している人もいたので、ちょっとした同窓会のようになった。30名ほど集まっただろうか。顔は思い出せるんだけど名前が出てこない人もたくさんいた(^_^;)ほどなく車椅子に乗ったライダーさんもやってきた。僕はライダーさんに、昨日のかまがやよさこいで3位に入賞したことなどを話した。「見たかったなあ。ビデオある?」ライダーさんは目を細めて、あの素敵な素敵な笑顔で話してくれた。手には今日の演舞を撮ろうと、しっかりと一眼レフカメラが握られていた。

中年ライダーさんのご両親、お姉さんやその娘さん達、近所の方々や、ケアマネさんなどのお客様も一緒に見つめる中。「YOSAKOI for 中年ライダーさん」が始まった。リハーサルも練習も打ち合わせさえないよさこいイベントだ。りばこさんの軽快なMCで乱舞曲を流して踊れる人が踊っていく、衣装もさまざま自由。僕は2曲も踊ると、おなじみの汗だくのへとへとになり、たちまちりばこさんのトークネタになってしまった(^_^;)

ライダーさんは目を細めて僕らの演舞を楽しんでくれているようだった。時々カメラを僕らに向けてシャッターを押していた。チームのオリジナル演舞を4人で踊ったり、旗士の演舞も行われて、あっという間に最後の曲に。お客さんもいっしょに、ライダーさんを真ん中に輪になって「うらじゃ音頭」を踊った。

最後にライダーさんからみんなに挨拶があった。感謝の気持ちを淡々と控えめに話してくれた。その後、ライダーさんのお姉さんからも挨拶があった。ライダーさんが今日のイベントをすごく楽しみにしてくれていたこと、病気の進行が早く、昨日できたことが今日はできなくなることなどを知った。僕はその話を聞きながら、涙が止まらなかった。なんでこんなやさしくいい人が病気になんかならなきゃならないんだ。なんとも悔しくてやりきれない気持ちでいっぱいになった。

奇跡が起こることを心から祈りたい。またよさこいのイベント会場でライダーさんが脚立に乗ってカメラを構える姿が見たい。一緒に飲んで大笑いしたい。

最後にみんなで記念撮影をしてお開きになった。最後の合い言葉は「ライダーさんまたね」

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YOSAKOIかまがやで学んだこと

 

 

昨日はYOSAKOIかまがやに参加した。昨年は準大賞をいただいていて、今年は何がなんでも大賞をとりたいとメンバー全員が思っていた。

 

ところが、先日の大江戸ソーラン後に踊り子のマッキーが緊急入院。彼女は隊列の先頭を踊るので急遽フォーメーションの変更が必要になった。しかし、時間がないために当日の朝早く集合して、フォーメーションを組み直した。これによって振りの左右が逆になったりする人が出てきたのだが、1,2回の通し練習で本番に臨むことになった。

 

最初はステージ演舞。天気も良くコンディションは最高。少々お客様に寄り過ぎたために平場のステージで後方や横からは少し見えづらくなってしまった事を反省。

続いては電車に乗って隣駅の第3会場でパレード演舞。今日変えたばかりの立ち位置をしっかり覚えるためにも重要な演舞となった。スタートから隊列の乱れも少なくきれいに揃っていた。しかし、緊張からか若干演舞に硬さが残った。

 

移動していよいよ審査パレード会場へ。そこでサプライズが待っていた。

入院していたはずのマッキーがみんなを迎えてくれた。じつはこの日に退院の許可が出てその足で駆けつけてくれたのだ。抱き合って喜ぶメンバーたち。気持ちは高揚し、絶対に大賞を目指せるとみんなが思っていた。

 

僕はMCのためにゴール地点へ移動。先に演舞を行う他のチームの演舞を振り付け師のまさるくんと一緒に見ていた。そこで地元チーム、維新〜心ひとつさんの演舞を見ることになった。昨年よりおそらく人数も増え、大旗も5本になり、大道具も増えていた。しかしそれよりも、踊り子一人ひとりの気持ちの入り方が半端ではなかった。動きのダイナミックさ、自分の気持ちを体で自由に表現する踊り、かけ声の大きさ、ミュージカルのような歌。見る観客やおそらく審査員をも巻き込み引き込んでしまう世界観。素晴らしかった。踊り終わった踊り子たちがみんな涙を流しているほど、感情をこめ全てを出し切っていたんだろう。

 

正直、僕は動揺してしまった。自分のチームはここまでやりきれるのだろうか?自分自身はそこまで想いを出し切れるのだろうか?

 

そんな思いを抱きながら、自分たちの順番が回ってくる。MCもかまずにスタート。いきなり、メンバーの大きな声がゴールにいてもまるで目の前にいるかのごとく聞こえてきた。隊列も今日練習したばかりとは思えないくらいきれいに踊れている。徐々に近づいてきて踊り子と旗士とMC、そして見てくださる観客の手拍子が一つになったようなような気がした。最後にジュニア隊がゴールラインを大きく超えてフィニッシュ!おそらく自分たちとしては今できる最高の踊りができたと思う。

 

審査発表となり、優秀賞、特別賞に続いて上位3チームの発表だ。発表はチームの楽曲が流れる方式だ。第3位の発表で、自分たちの演舞曲が会場に流れたとき、メンバーに笑顔はなかった。賞状をいただき、挨拶をしている時もみんな悔し涙を流していた。第2位は維新さんだった。

 

その後のミーティングで僕は自戒もこめてメンバーに話した。昨年準大賞、前回のイベント大江戸ソーランで4位に入ったことで自分たちの気持ちに「奢り」があったのではないか?維新さんのような踊りに対するひたむきさがあっただろうか?そして観客に伝える事ができていただろうか?「揃えてナンボ」のよさこいにこだわり過ぎて何か大切なものを忘れてないだろうか?

これからどうすれば良いか答えはまだない。

でも、振り付け師のまさるくんが駆けつけてこう話し始めた。「今日(大賞が)取れなかったのは自分の振り付けのせいです。みなさんには申し訳ないが(振り付けを)変えさせてください。フォーメーションだけでなくもしかしたら振り付けも。本当に悔しいです。」と涙ながらに語った。

彼に舞ちはらの振り付けをお願いして4年目になるが、そんな姿を見るのは初めてだった。僕も胸が熱くなった。

舞ちはらはこんな秋のシーズンからフォーメーションや振り付けを大きく変えたことはない。はたして踊りこなせるのか自信はない。でも、チャレンジしないで後悔するくらいなら、やってみよう。やってダメなら悔いはない。