今日をあらたな1歩にして〜木更津舞尊

今日は木更津舞尊の日だった。とても気持ちのいい五月晴れとなった。

舞ちはらは21名の少人数で、おそらく審査では最後となる「サバイブ」を演舞した。

結果的には、予選落ち。ブロック内の上位4チームには残る事ができず、ファイナル演舞に進むことはできなかった。当然といえば当然で、なみいる強豪の中で、とても今の舞ちはらの状態では立ち向かうことは困難だった。しかし、僕らとしてはできるだけの演舞はできたと思う。

久しぶりのイベントでたくさんの友人に再開できた。YOSAKOIに対する思いが相変わらず半端でない人、大きくなって歩き始めた子供達、結婚して転職したひと、仕事が忙しくてほぼ一年ぶりによさこいを見にきてくれて、相変わらず切れ味のいいコメントくれた人、チームを移った人、などなどいろんな変化があって楽しかった。よさこいはいい成績を目指すことももちろん大切だが、よさこいを通じてたくさんの人との関係を築けることも非常に重要だと改めて感じた。

このところ数ヶ月、仕事ばかりで心が殺伐とする一方だったが、今日少し人間的な悔しさやうれしさを取り戻す事ができたな。

明日は木更津舞尊

最後の“サバイブ”

明日は木更津舞尊だ。

舞ちはらとしては最後の“サバイブ”の審査演舞だ。

昨日、夜に最後の練習を行った。

何度も踊ってきた演舞だが、何度やっても不具合が出てくる。

そして、変えたいところも出てくる。今回は振り付け以外に演出も少し変化を加えた。

昨年から人数が大幅に減り、見た目の迫力不足は否めない。自分自身もほとんど練習に参加できずに、気持ち的に不安はある。

けれども、最後の審査だ。自分たちにできることを精一杯やる。

ただそれだけだ。

YOSAKOIソーラン祭りで感じたこと

2年ぶりに札幌のYOSAKOIソーラン祭りを見に行った。

今年は初日からどしゃ降りの雨だった。僕が見た中ではおそらく

最もひどい天気だ。気温も15,6度と低く、踊り子はすべるステージで何度も転倒していたし、濡れた衣装は重く冷たく踊りにくいだろう。

にも、かかわらず、どのチームも実に元気だった。雨の中で見ているお客さんに笑顔を振りまき、決して手を抜いていなかった。縁の踊り子なんか水たまりで泳いでたしww

すごいな。これがYOSAKOIの本当の魅力なのかもしれない。苦しいときでも決してあきらめない。むしろ困難を楽しんでしまう。これは、生き方に通ずるな。

充実した2日間だった。

寂しさと苦しさと

今年の舞ちはらの活動は昨日のミーティングをもっておしまい。

最後に今年の反省と来年に向けての気持ちをメンバー一人ひとりが話しをした。

振付師が変わって戸惑ったこと、絶対について行けないと思った振り付け、でもいつしか形になっていったこと。

せっかく覚えたのに変更に次ぐ変更でつらかったこと、でも最終的にはおみがわでファイナルに残って結果を残せたこと。

数年ぶりにチームに復帰した者、シーズン途中から加わった者、昨年までよさこいのよの字も知らなかったのにいまや主力で踊る者、他のチームで踊っていたけど、数年越しに舞ちはらにあこがれ、今年晴れて踊れることになった者。

聞いていて、胸熱くなる話しばかりだった。

そして、さまざまな理由でチームを去ることになったメンバー達。本当にさびしく悲しい。でも、それが自分の選んだ道なら応援したい。これまでありがとう。

いま、自分自身も仕事上の都合でよさこいを続けるかどうか悩む日々なのだが、メンバーの熱い気持ちを聞いていると、まだまだ続けていきたい。

よさこいが好きだから。舞ちはらが好きだから。なんとか続けたい。

いや、舞ちはらはかならず続く。メンバーの熱い思いが続くかぎり、応援してくれる人の希望があるかぎり、おどり続けるんだ。

中年ライダーさんのお通夜

昨夜はライダーさんのお通夜に出かけてきた。

会場に着いてすぐに、ライダーさんのお顔を見せていただいた。

まるで眠っているかのような安らかな顔。いつも着ていた普段着で、好きだったセブンスターが一緒にお棺に入れてあった。

お姉さんのお話だと、前日まで食事も普通にとってそれまでとあまり変わらぬ様子だったそうだ。だが翌日起こしに行くと布団の中で冷たくなっていたそうだ。苦しまなかったのが救いなのだろうか。亡くなる前日、突然お母さんへ電話があったそうだ。大した用事もなかったようだが、なにかを悟っていたのだろうか。

ぼくは舞ちはらのDVDを月曜日にライダーさんに送ったばかりだった。木曜日に逝ってしまったライダーさんに果たして見てもらえたのか気がかりだった。お姉さんに伺ってみると「そういえば届いた封筒を渡したけど、ずっと見て、聞いてましたよ」とのことだった。よかった。舞ちはらの10周年記念イベントは見てもらえたようだ。楽しんでもらえたかな。

ライダーさんは不治の病と闘い、徐々に体の動きが奪われていっても、悲観して自暴自棄になったり、落ち込んだりせず、笑顔を忘れなかったそうだ。僕だったら果たしてどうなるだろう。

かつて、ライダーさんからたくさんCDに入った写真をもらった。でも、結局なにもお返しができなかったと、同じ想いのなっちゃんパパと一緒に悔しがった。

この日にあつまったよさこい仲間で、一周忌には、あのみんなが出会うきっかけとなった「伝説の」東金の桜の下でもう一度踊ろうということになった。あのイベントは2007年だったから、もう8年経ったのか。

さようなら。ライダーさん。ありがとう。

今度は空の上から見ていてね。

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