YOSAKOIソーラン祭りで感じたこと

2年ぶりに札幌のYOSAKOIソーラン祭りを見に行った。

今年は初日からどしゃ降りの雨だった。僕が見た中ではおそらく

最もひどい天気だ。気温も15,6度と低く、踊り子はすべるステージで何度も転倒していたし、濡れた衣装は重く冷たく踊りにくいだろう。

にも、かかわらず、どのチームも実に元気だった。雨の中で見ているお客さんに笑顔を振りまき、決して手を抜いていなかった。縁の踊り子なんか水たまりで泳いでたしww

すごいな。これがYOSAKOIの本当の魅力なのかもしれない。苦しいときでも決してあきらめない。むしろ困難を楽しんでしまう。これは、生き方に通ずるな。

充実した2日間だった。

寂しさと苦しさと

今年の舞ちはらの活動は昨日のミーティングをもっておしまい。

最後に今年の反省と来年に向けての気持ちをメンバー一人ひとりが話しをした。

振付師が変わって戸惑ったこと、絶対について行けないと思った振り付け、でもいつしか形になっていったこと。

せっかく覚えたのに変更に次ぐ変更でつらかったこと、でも最終的にはおみがわでファイナルに残って結果を残せたこと。

数年ぶりにチームに復帰した者、シーズン途中から加わった者、昨年までよさこいのよの字も知らなかったのにいまや主力で踊る者、他のチームで踊っていたけど、数年越しに舞ちはらにあこがれ、今年晴れて踊れることになった者。

聞いていて、胸熱くなる話しばかりだった。

そして、さまざまな理由でチームを去ることになったメンバー達。本当にさびしく悲しい。でも、それが自分の選んだ道なら応援したい。これまでありがとう。

いま、自分自身も仕事上の都合でよさこいを続けるかどうか悩む日々なのだが、メンバーの熱い気持ちを聞いていると、まだまだ続けていきたい。

よさこいが好きだから。舞ちはらが好きだから。なんとか続けたい。

いや、舞ちはらはかならず続く。メンバーの熱い思いが続くかぎり、応援してくれる人の希望があるかぎり、おどり続けるんだ。

ちばよさこいお披露目&練習会

昨日5/29はちばよさこいお披露目&練習会だった。

舞ちはらはこの日のために、約3ヶ月間を費やしてきた。昨年までのメンバーの何人かはチームを去り、新たに何人かが舞ちはらに加わってくれた。数年前に一度チームを離れたメンバーも戻ってきてくれた。演舞の演出を手伝ってくれるメンバーも入ってくれた。

そして、振り付けをしてくれる先生が変わった。5年ぶりの新しい振り付けスタイルにメンバーも振付師本人も最初は戸惑ったが、少しずつなれていった。

メンバーのキッズたちも成長し、もはやかつてのファミリーチームのスタイルではなくなった。スピードと力強さが加わった。

2016年は変化の年。今までとは違う、新たな感動を見る人に届けたい。

今年のテーマは「祝〜めでた、めでたのおめでたや!」

僕らをズーッと応援しくれているご夫婦のお子さん誕生をお祝いしたい、という想いで作った演舞だ。

さて、お披露目会の3日前くらいからなんか緊張して、よく眠れないメンバーもいたそうだ。

最初のパレード演舞はその緊張がみんなの顔に出まくりで、表情は硬かった。僕のMCもかみまくり、マイクはハウるし、決して満足いくものではなかった。でも、このパレードも練習初めて3回くらいしか通して練習できてない。まだまだ練習不足だな。

そしてステージ演舞。審査はないんだけど、ちばよさのファイナルのような気持ちでのぞんだ。踊りきった。何とか今の時点の全力は出せたんじゃないかな。

さあ、今年もスタートしたぞ。

「銀の翼ではばたいて、空へ、高く、そら、舞いあがれ!」


終わりは始まり

昨日は黒潮よさこいだった。

舞ちはらの今年最後の審査演舞。

想いを込めて作った演舞曲「生きる力」の実質最後の演舞だ。

大好きな銚子の街、ここで踊れるだけで嬉しかった事もあった。でも、今の舞ちはらにとってはそれだけでは満足できない。ファイナルに残ることが至上命題だ。

今年は、木更津舞尊に出られず、鎌ヶ谷がなくなり、千葉よさの審査も天候によるアクシデントでなくなったため、実質的に大江戸と小見川、そしてこの黒潮の3回だけが審査となり、少ないチャンスにすべてをかけることになった。

自分たちで思いつく限りの工夫を重ね、前日まで繰り返し練習をしてきたのだが、結果は惨敗。ファイナルに残ることはできなかった。

舞ちはらは決してベストの状況ではなかった。肩の脱臼を押して踊った者、練習中の足の捻挫を大丈夫と言って踊った者、膝の靭帯を損傷してるのに無理やり治して大旗を振った者。受験を控えているのにがんばった者。そして受験のためにどうしてもおどれず、ファイナル進出発表をチームメイトのLINE中継で聞いていた者。黒潮を最後にチームを休会する者…..様々な事情や想いを抱えて臨んだ黒潮よさこい。力の限りは尽くした。苦しみながらも舞ちはらの演舞はチームとしては今年一番のできだったはずだ。それでもかなわないなら悔いはない….

けれど悔しい。メンバーに楽しい思い出をあげたかった。応援してくれる人に良い報告をしたかった。そして、天国の友人に胸を張ってつたえたかった。

よさこいは甘くないな。人生と同じで良いときも悪いときある。

よさこいって何だろう。何度も何度ももう続けられないと思った。実際、今年は仕事の関係で練習にいけないことが増えた。練習に行けないことがメンバーに示しがつかないと自分を責めて苦しくなった。そんな僕をフォローしてくれたメンバーに涙が出た。

メンバーも誰しも仕事がある、学校がある、生活がある。それでも踊る。踊ることで生きている実感を得られるから。踊ることによって人と人との絆を深めることができるから。踊ることで「感動」の意味が実感できるから。だからどんなにつらくてもよさこいを続けるんだ。

今年は終わりだが、次が始まる。

カナダからの電話

話は前後するのだが、この間事務所で仕事をしていると電話が鳴った。デジタルの画面に「非通知」と表示されたので、イヤな予感がした。お盆休み中の店舗に番号非通知でかかってくる電話なんぞロクなもんじゃない。クレームかトラブルか、一瞬無視しようかと思ったが出ることにした。

「もしもし、あのー、わたくし以前そちらで働いていたUと申しますが…」

音声はクリアだが、デジタル特有の途切れ途切れの声がそう言った。

驚いた。3年ほど前に辞めた、僕の元部下からの電話だった。

彼女は新卒の時に、僕が面接をして採用し、やっと一人前になったかなと思った時に突然辞めると言いだしたのだ。これからと言う時だったので、僕は散々慰留したのだが、彼女の決意は強くそのまま退職となった。僕は上司として何が駄目だったのかけっこう悩んだ。

もともと学生時代から海外に行くことが好きで、うちの生協を辞めてからも、インドネシアやオーストラリアにいるようなことを風のたよりに聞いていた。

でも、辞めてから僕には一度も連絡がなかった。それもまた心に棘のように引っかかっていた。彼女が辞める時に、落ち着いたらどんな仕事してるかくらい連絡をくれと言ったのだが…

そして3年が経っての突然の電話。彼女はなんとカナダにいた。日本人相手に公的な書類の発行をサポートする会社で働いているそうだ。まあ、なんにせよ元気そうだし、ほっとした。

電話の後、メールも送ってきてくれたが、突然やめたことに関して、僕のせいではなく、海外でどうしても働きたかったからだったと書いてあった。

そうか、とにかく元気でがんばれ、そう返信メールを書きながら、夢を追いかけ世界に飛び出した彼女がうらやましく思えた。