ちょいと公開練習

舞ちはらは、今夏から秋にかけての演舞の改造中だ。
一度は完成してお披露目も審査も受けた演舞だが、まだ何か物足りないものは感じている。
2週間ほど前から徐々に形を変え始めた演舞は骨組みは残りつつも、だいぶ中身は変わってきた。

今日はいつも練習をしているコミュニティセンターが使用できない日だったので、先日「お披露目会」が行われた市原更級公園を使って、「公開」練習を行った。公園にいる人も興味を持ってくれてメンバー拡大につながればとの、ちょっと期待も含めた練習だ。

期待通り、準備体操をしているときにすでにちびっ子たちが集まってきた。遠巻きに僕らを見ながら、見よう見まねで演舞を踊り出す。(*^_^*)

そんな子供たちに注目されながら、変更された部分を中心に演舞を行うが、芝生の上はでこぼこで、足を取られ思うように踊れない。何となく早めに切り上げ終了。

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舞ちはら再始動

ソーランから1週間経って、昨日の土曜から舞ちはらの練習が再開した。

5月のお披露目&練習会以来、舞ちはらは7月までイベントがないために、先週は練習をお休みにしたのだ。集まったメンバーに2人もけが人が出ていることを聞いてびっくり。よさこいとは関係のないところで腕を骨折したり、筋を切ったりとかなりの重傷。早く直って欲しい。

久しぶりの演舞とあって、みんな体が重い。声も出ないし、動きも鈍い。振りも抜けていることもあり、練習を休むことの恐ろしさを実感した。とにかくこれ以上のけが人は出したくなかったので、乱舞から始めて徐々に今年の演舞を踊っていくことにした。

昨日はチームを盛り上げるために、各パートごとに演舞をしてもらい、賞品をかけてどのパートが一番元気かを競い合ってもらった。結果は男隊の勝利。少ない人数だったがしっかりと声を出し手を抜かずに踊っているところが審査ポイントとなった(^_^)

今日の練習からは、札幌帰りの振付師も戻ってきて、夏から秋の後半戦に備えての演舞の改造に着手。

以前から予告してあったのでメンバーは戸惑うどころか、昨日よりも明らかにテンションが高い。新しい振り付けを必死に追いかけていった。

振り付けの変更に伴っていろいろ新たなフォーメーションも試された。果たしてどれが見立てがいいのかはこれから検討される。後半の盛り上がりに関しても、変更によってみんなの踊る楽しさがアップした感じだ。

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舞神楽を通じて感じたYOSAKOIソーラン祭りー後編

 

2日目がスタート〜運命の瞬間

初日あれほど疲れていたのに、夜遅くまで楽しく飲んで食べてしまったために若干の二日酔いのまま、朝の集合場所へ。ストレッチと簡単なミーティングを行う。その後、2日目最初の新琴似会場へ地下鉄で向かう。混み合う地下鉄にさらに100名近いメンバーが乗るので車内は大混雑。ちなみにこの日は移動が多いので、旗や纏、太鼓といった小道具はレンタカーで別に運搬することになっていた。

会場に到着して道具の準備を行う。ここではパレードの3回連続演舞だ。快晴の空から太陽がぎらぎらと照りつける。地方車が準備され、いよいよ舞神楽の出番がやってきた。お客さんは道路の両側にまさにすずなり。千葉からやってきた僕らの演舞をどのように受け止めてくれるのか、ちょっぴり心配だったが踊りが始まると大きな笑顔と歓声、手拍子の嵐だった。僕もおもわず会場のお客さんに手を振って会話を交わす。「暑いですねえ」「本当ですね。千葉より暑いですよ〜(笑)」てな具合に。

 

 

3本のパレードを終わると、団長がみんなを集合させた。そう、この時間にファイナル進出の結果が電話で連絡されるのだ。

メンバーが静まりかえる中、団長が口を開いた。

「お疲れさんです。それでは結果を発表します。皆さんを支え続けてくれた人たちのおかげで、夢が叶いました!」

全員が歓喜の叫び声を上げた。誰彼ともなく抱き合い、手を握りあい、涙を流した。

僕も感激が押さえられなかった。他のチームからほんのちょっとお邪魔させてもらった僕が、こんなに感動するとは。自分の周りの人、みんなと、握手をし、ハグし合った。「おめでとう、ありがとう」何度も何度も繰り返した。

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舞神楽の予選ブロックは、ファイナル進出の常連揃いの厳しいブロックだった。その中からのトップ通過だ。しかも2年連続の。これを快挙と言わずなんといおう。

ひとしきりの感激がおさまると、徐々にみんなの思いが一つになってきた。「こうなったらてっぺん目指してやろう!」

 

午後の演舞で再びトラブル

次の篠路ホーマック会場へは送迎バスで移動した。またしても時間が押して到着したときは順番が次だった。これは旗の準備が間に合わないなあと思いつつ一度はあきらめかけたのだが、とにかく運搬車から下ろして会場に運び、組み立てる。何とか間に合ったのだが、今度は音響がトラブル。曲が途中で何度もストップしてしまう。それでも踊り子達はカウントで踊り続けたのだが、司会の方が気を遣ってくださり、最初から踊り直すことに。今度は無事に最後まで踊りきることができた。

再びバスと地下鉄で次の会場〜札幌駅南口広場会場へ移動し、最後のレギュラー演舞を行った。

残すはファイナルパレードとステージだ。

 

ファイナルパレード

ファイナルの前に1時間ほど空き時間ができたので、みんな思い思いに過ごす。部屋で一休みする人、食事に行く人、道具を調整する人。決戦前の静かな時間だ。僕は若干の頭痛を吹き払うために薬局で頭痛薬を買い、コンビニで遅めの昼飯を買い、ホテルの部屋で食べた。衣装やメイクを直し不要なものはすべて部屋に置いて決戦の場所へ向かう。

ファイナルパレードは大通り南コースにて行われる。3回連続演舞の2回目が審査だ。9番目の順番を待つ間に簡単なミーティング。プロデューサーの元先生から「楽しんで、舞神楽ライブを見せましょう!」という言葉をいただく。僕は旗を運ぶ係だが入念な打ち合わせをもう一度行う。そして、全員で円陣を組み、気合いを入れる。旗士だけでも集まりもう一度円陣を組む。

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順番が来て、コースに入る。空はすでに夕暮れ。地方車が入ってくる。みんなのテンションが一気に上がる。時間短縮のために、MCは短めですぐに演舞がスタート。両脇の沿道や桟敷席は超満員のお客さん。舞神楽の演舞を食い入るように見つめる。そしてやがて、どの会場でもそうだったが手拍子を打ち、笑顔になっていく。

1回目の演舞の最後に曲が終わろうとしているにもかかわらず、エンドラインから踊り子が大きくはみ出していた。僕らサポート隊が「進んで!ラインに入って!」と、持っていた旗の束でなかば押し込むように、みんなをエンドライン内に入れた。

2回目が審査演舞。みんなのテンションは最高潮。お客さんの反応もいい。しかし最後のラインにはまたしてもはみ出しそうになった。なんとかかんとかみんな滑り込んだが、どうも決まり悪かった。

3回目の演舞も終了し、どうもその事が気になったが、元先生は「気にしなくていいです。ステージで取り返しましょう」と励ましてくれた。

 

ファイナルステージ

前編プロローグより続く

光のステージに飛び出した僕らは所定の位置について演舞スタート。僕は旗をほぐして旗士がすぐに交換して振れるように準備。曲にあわせて思わず声が出る。「しょ、しょ、しょじょじ!」

僕はステージ後方でスタンバイしたために、前方はほとんど見えなかったが、大旗が光に照らされてとても美しかった。

曲が進み、自分の出番が近づく、「ワン、ツー、ワン、ツー、スリー、フォー!」

5色の小旗が一斉に空に舞う。

いけない!若干テンポが狂い、隣のママの旗との同期がずれる。

「落ち着け、大丈夫。楽しもう!」と自分に言い聞かせて振り続けた。何とか持ち直して後半は同期がとれた(と思う)。

「我が人生!悔いなし!」の台詞で演舞が終わるのだが、内心は序盤にちょっとずれた自分の旗に、おおいに「悔いがあった」(汗)

ステージを降りて集合場所へ戻った。 やるべきことはやった。

 

エピローグ

ファイナルステージの全演舞が終わり、いよいよ発表だ。

大賞は「粋〜IKI〜北海学園大学」、準大賞は「平岸天神」「北海道大学 ”縁”」と発表された。

悔しかった。涙をうかべるものもいた。でも、現実は厳しかった。

あと、もう一回踊りたかった。

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すべての演舞が終了して、打ち上げ会場へ向かう。

僕は元先生や団長、作曲や衣装の先生と同席をさせていただいた。団長や先生からの挨拶の後、副団長の音頭で乾杯。会場を埋め尽くすメンバーの誰彼ともなくグラスを合わせ乾杯をした。

そして、ほどなく「舞神楽からのお礼の時間」がやってきた。団長や先生にメンバーの言葉とともに感謝の記念品が贈られた。そしてなんと僕までが名前を呼ばれて、記念品をいただくことになった。コメントを求められて僕は「この2日間は短かったですが、一生忘れることはありません。ありがとうございました。」と挨拶をした。

 

僕は舞ちはらのメンバーとして、自分と自分のチームのためにサポート隊としてこの札幌に参加した。しかし、元先生のはからいで微力ながら旗を担当させていただくことになった。普通は何ヶ月も練習を重ねてやっとステージに立つのだが、僕のようなものが、札幌のしかもよりによってファイナルステージに立っていいのかという葛藤が自分の中で最後まであった。

しかし、ファイナルが決まったときの団長の「各個人個人が自分の役割をきちんと果たしたからこそ、つかんだ結果なんだ」という言葉に少しホッとした。旗士としてステージに出ることが決まってから、舞神楽の日曜練習にはできる限り参加し、また、自分のチームの旗士にも特訓をしてもらった。演舞中はメガネがだめということでコンタクトレンズも入れた。サポート隊としても旗士の演舞がスムーズにできるように、自分なりに精一杯のことはやった。

それが少しでも今回の結果に貢献できたのなら幸せだ。

舞神楽の団長を始め、元先生、旗士のみんな、纏隊のみんな、踊り子のみなさん、サポート隊のみなさん。本当にお世話になりました。僕の人生に忘れられない経験をありがとうございました。

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舞神楽を通じて感じたYOSAKOIソーラン祭りー中編

あこがれの西8丁目ステージへ

大通りのパレードを終えた舞神楽は、次のステージ、旧札幌市庁舎前へ移動して演舞を行った。非常に狭い会場なので旗はなし。僕は客席から観戦した。観客席には千葉から来た舞神楽の追っかけのお姉様方がたくさんいた。そればかりか、道内から3時間かけて舞神楽だけを見に来たというお客さんも!その方は言葉通り舞神楽の演舞が終わると帰って行った(^^)舞神楽は北海道でも愛されているんだと実感。

演舞終了後の移動中にその事件は起きた。メンバーが横断歩道を渡るために小走りになったそのとたんに、同時に2人の踊り子の足がけいれんを起こし、その場に倒れてしまった。他のメンバーが必死で介抱する。幸いしばらくすると回復したが、さすがにみんな疲れがたまってきているのだ。

遅めの昼食をとった後に、こんどはメインステージとなる西8丁目のステージにのぞむ。よさこい人なら誰でもあこがれる大ステージ。このステージに立つのは長年の夢だった。それが今実現しようとしていた。周りはすでに夕闇がせまり、照明がまぶしくなってきた。

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順番が回ってきて、司会にうながされステージへ。僕は最初は旗とともに後方のスロープで待機。曲がスタート。観客の姿はライトでほとんど見えない。演舞が進み、いよいよ僕らの出番のタイミングが回ってくる。ステージに走り込み、旗をひろげかけ声とともに振り上げる、若干旗がもつれあせったが、すぐにほぐれ後は順調にリズムに合わせることができた。自然に叫んで歌っていた。「我が人生、悔いなし!」という台詞とともに再度旗を振り上げ終了。感動で胸がいっぱいだった。

余韻に浸りながらも、旗を縮めて地下鉄で最後の会場、札幌ガーデンパークへ向かう。この会場は最寄り駅から1km近くも歩く必要があった。歩けど歩けどなかなか着かず、到着したときは予定の演舞時間から大幅に遅れていた。

僕らは慌てて旗を用意した。踊り子はすでに会場に走り込んで待機している。驚いたことにだいぶ遅れたにもかかわらず、たくさんのお客様は舞神楽を待っていてくれた。息つく間もなくステージ演舞を開始。最後の力を振り絞って踊りきった。

疲れ切った体を引きずるように、暗い来た道をまたとぼとぼと駅まで歩いてホテルへ帰った。ホテル前で短いミーティング。団長から西8丁目のステージ演舞が素晴らしく、特に旗が素晴らしかったとのコメントをいただいた。旗士軍団は一様に「やっと評価されたよ〜」と歓喜のつぶやきをあげていた。(笑)

ファイナル進出の結果発表は翌日のお昼過ぎに電話で団長に連絡が来る。信じて待とう。

(後編に続く)

舞神楽を通して感じたYOSAKOIソーラン祭りー前編

プロローグ

すっかり日も落ちて、北海道の乾いた冷たい風がほほに気持ちよくあたる。順番を待つ僕らの目の前で、セミファイナルを1位で通過してきた平岸天神が1番手として演舞をしていた。観客席は満員。舞台の袖や大通公園を見下ろす高層ビルからもたくさんの人がステージを見つめていた。そして、その演舞の模様は生中継で北海道全土に放送され、インターネットでも世界中に配信されていた。

ここはYOSAKOIの日本一を決める年1回の「YOSAKOIソーラン祭り」のファイナルステージ。よさこいを踊るものにとってこのステージで踊ることは夢の中の夢。僕はまさにその夢のステージに立とうとしていた。

昨年の覇者、平岸天神の演舞が終わりに近づき、僕らはステージ後方のスロープ下にスタンバイをした。緊張でのどが渇いてくる。僕が運ぶことになった旗の束を改めてつかみ直す。

「落とさない、転ばない、自分の役割を果たす」呪文のように口の中でつぶやく。心臓の鼓動が聞こえるようだ。

目前の演舞が終わった。アナウンスが呼ぶ。

「REDA舞神楽の皆さんです、どうぞ!」

僕らは口々に「さあいくぞ!」「よっしゃあ!」と自分に気合いを入れながら、大観衆が見つめる光のステージの中へ飛び出して行った。

1日目がスタート

2013年6月8日土曜日。僕はYOSAKOIソーラン祭りに参加するために、快晴の札幌に降り立った。以前から自分の「舞ちはら」がソーランに出場することを想定して、「チームのメンバー」としてお祭りに参加したかった。そこで今回REDA舞神楽のサポートメンバーに応募したのだ。以前のブログにも書いたが、サポートだけのはずが「旗士」として演舞にも参加することにもなり、舞台にも立つことになった。僕の役割はステージ演舞で小旗を演舞の終盤で振ること。旗をあげるタイミングを曲に合わせることと、他の色の小旗とシンクロさせることが重要。パレード演舞の時は5色の旗を演舞中に運搬し所定の位置へ運び、振り終わった旗を回収して次の演舞に備えることだ。数回の練習参加と自主練はしたのだが、全く自信などなく、他のメンバーの迷惑にならないかが気になって仕方がなかった。

集合場所に着くと、さっそく「変更の洗礼」をお見舞いされる。僕の持つ旗の色が緑から白に変わり、さらに立ち位置が変更になってなんとステージセンターに立つことになっていた。まいったなあと思うひまもなく。メンバーと挨拶を交わしメイク係からメイクも施してもらう。衣装の袢纏は僕のために新調してくれたそうだ。ミーティングを行ってから最初の演舞会場〜一番街・丸井今井前会場へ向かう。

会場に到着してからまずびっくり。ステージ形式で演舞予定だったのが、急遽、静止パレード形式に変更となる。時間がない中、慌てて準備。僕の出番はなかったが、お客様の反応は非常によかった。

歩いて大通り公園に戻りストレッチや水分補給を行う。

この時に舞神楽のサポート隊のすばらしさを実感した。給水用のペットボトルはもちろん、暑さ対策のためにかち割り氷を配ったり、栄養補給にバナナを配ってくれた。それ以外にも大道具や小道具、救急箱、修理道具などの運搬、写真の撮影などなど仕事は多岐にわたった。さらに札幌の地理に明るい人が水先案内人をつとめ、メンバーの誘導をしてくれた。踊り子が無事に踊れるのもこれらサポートがあってこそだ。

5回連続パレード(審査演舞)

つぎは大通り公園会場で5回連続のパレード演舞だ、最初の3回はほぼ連続。小休憩を挟んでさらに2回演舞する。2回目の演舞が審査対象となる。この演舞の出来でファイナルへの進出がきまるのだ。

踊り子達は待機している間、ストレッチをしたり声をかけあったりして、テンションを高めていく。全員で円陣を組み。かけ声をかけていよいよ通りに入る。

MCと歌姫が乗った地方車が側道から、大通りに入ってくると、手を振って歓声が上がる。

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時間だ。まずは1回目。僕は途中で交換する五色旗を列の最後尾から抱えて、隊列とともに進む。途中旗士を追い越して所定の場所に置く。そして旗士が振り終わった旗を回収して進む。演舞の最後は僕らのさらに後からくるサポートメンバー達も含めて、エンドラインを超えなければならない。僕は最初それを把握しておらず、演舞の最後に旗士から「早くこい!」と激しく手招きされた。なんとかおさまることができた。

続いて2回目の演舞。審査だ。お客さんの反応も上々みんな笑顔だ。でも、そんな反応をゆっくり楽しんでいる間もなく、旗を運び、回収した。桟敷席があるため、思った以上に道路幅がせまく、途中で旗の柄が桟敷席につっこんでしまうハプニングもあった。なんとか事なきを得て、演舞が終了。やれることはやりきった感があったが休む間もなく次の会場へ移動。観客席から「もとまっくさーん」と声がかかってびっくりする。見ると千葉のチームの知り合いだった(^_^;)

3回目の演舞、体力的に最もきついところかもしれない。でも、メンバーは力の限り踊った。終了して移動。若干の水分補給。

そして4回目、5回目の演舞。両側に桟敷席がなくなって視界も開ける。踊り子も旗士の体力もおそらく限界を超えているだろう。でも、誰一人として抜けるものもなく踊りきった。観客からの暖かい拍手、歓声、笑顔。

休憩場所で集まると、涙を流す踊り子もたくさんいた。これが札幌だ、これがソーランなんだ。うまく説明できないが、踊りきったものだけが感じることができる、この途方もない達成感が、YOSAKOIソーランの魅力なんだと思った。

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 (中編へつづく)