僕がそもそもYOSAKOIにのめり込むことになったきっかけとなったイベントはこのちばYOSAKOIだ。第1回の2004年に初めて見て、あまりのすばらしさに感動し、自分もいつかはあの舞台に立つんだ!と思った。それから、実際に舞台に立ったのは2年後だった。3年連続で出場してきたが、2009年~2010年は諸事情により開催されなかった。
そして今年、2011年10月29日~30日になんと僕らの地元、市原でちばよさの舞台が復活した。
夢にまで見た舞台は、中断する前のスケールを遙かに超えた大きさで復活した。横幅25mの巨大なメインステージ。2日間完全に公道を通行止めにして行われる全長400mのパレード会場。さらに、千葉中央公園やフクダ電子アリーナ、市原市民会館までもを会場として踊り子を待ち構えていた。
舞ちはらは2日間フルでエントリーし、初日は7回、2日目は5回の演舞を踊りきった。最後のパレード3回連続演舞(2回目は審査演舞)を踊りきったとき、メンバーはみんな涙に暮れていた。やりきった充実感、満足感、開放感…まさに感動が渦のように押し寄せてきたのだ。
しかし、結果としてファイナル8チームに選ばれることは無かった。
初めて乗った”動く”地方車の上からMCをしながら、何となくそんな予感を感じていた。30名弱で挑むにはあまりにも巨大な舞台、県外を含むあまりにも巨大で強豪な他チーム、それに対して僕らの演舞は風車に向かうドンキホーテのようだった。
僕は「悔いは無いんだ。できることはすべてやり、力を出し切ったのだから」と思い込もうとした。
でも、ファイナル演舞を見ているうちにやはり悔しさが押し寄せてきた。
「あのカクテル光線を浴びて踊りたい。」
なんとしても。決してあきらめないぞ。
僕の市民税を派手に使ってあげられた最後の花火に誓った。
余談だが、翌日は原因不明のひどい頭痛におそわれた。声もしゃがれたまま這うように仕事に向かったが、半日は青息吐息だった。