シーズンのおわり

今年のYOSAKOI舞ちはらの公式なイベントはすべて終了した。

もう1週間が経過してしまったが、11/23(水・祝)に市原市周辺地域「市民活動フェスタ」で演舞をした。久しぶりに飛翠迅さんとの共演でうれしかった。天気も最高の秋晴れで気持ちよかった。交代でオリジナルと乱舞を1曲づつ演舞し、最後によさこい村を一緒におどった。

その後の午後は時間があったので、千葉国際駅伝の会場へ向かい、北天魁と利ゑ蔵さんの演舞の応援をした。フィールドで踊る彼らに観客席から乱舞で声援を送った。内輪うけでおもしろかった。

この日で参加するイベントは終了。ちょっと振り返るのはまだ早いかな。

今年はほんとに忙しく、後半になるにつれてスケジュールも厳しくなって、最後には自分自身、ケガしたり体調を崩したりしたが、そのかいあって、素晴らしい賞をいただくことができた。

幸せだったな。

でも、まだ終わりではない。もう少し仕事が残っている。

そして、来年に向けての課題はまだこれからだ。

ラス前演舞

月日の経つのは早いもので、YOSAKOI舞ちはらが今年の演舞「感謝感激あめあられ」を7月に船橋市民祭りでデビューさせてから、はや4ヶ月いよいよ明日が年内最後の公式イベントなった。一般のお客さんを前に踊るのはとりあえず一区切りとなるので、何となく感慨深い。

先週末の土曜日(11/19)から、僕は突然、原因不明の発熱と頭痛、下痢に襲われた。二日酔い以外で床に伏せる事などここしばらく無かったので驚いた。前日まで仕事が立て込んで忙しかった事や、10月初旬からずーっと続いていたイベントの疲れが出たのだろうか?何も食べず飲めず、でも練習にはどうしても行かなくちゃと這うようにしてコミセンへ。

立ち位置確認だけして終了。本当はその後、11月会があったのに行けなかった。残念。

翌日曜日(11/20)は千葉大教育学部付属特別支援学校のふよう祭でのイベントだった。はじめての御招待で体調もままならない僕は道にも迷ってやっとたどり着く。思った以上に盛大な学園祭だったが、ステージがとにかく小さかった。幸い(?)にも参加メンバーが少なめだった事もあり、何とか上で踊る決心をする。「感謝~」を踊っている途中で、ひとりの女の子がステージに上がってきて、センターできょとんとしている。僕は誰かとぶつからないかと、はらはらして見守るしかなかったが、女の子はしっかりと前を見て、時々曲にあわせて手足を振っていた。やがてお母さんらしき人が手を引いていったが、きっと僕らの演舞を楽しんでくれたんだよね。

ハプニングはあったけど3曲を踊りステージ終了。なかなか楽しかった。

夜は仲間と少々飲み会。僕はウーロン茶だったけど。

光の向こうに立つ~おみがわYOSAKOI2011

(今日は長々と長文です。最後までおつきあいいただければ幸いです。)

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昨日はおみがわYOSAKOIが開催された。このイベントには2006年に初参加してから6回目で、舞ちはらが審査イベントとしては一番多く参加しているイベントだ。

この静かな水郷小見川町は、僕が見学者で2005年に初めて訪れた時に、駐車場の横の一般のご家庭で「お茶どうぞ」と大変親切なおもてなしをいただいてから、大好きな街になった。以来、おみよさは11月という開催時期もあって、その一年の総決算の意味で毎年参加してきたが、ただの一度もファイナルに残った事は無かった。

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今年、黒潮よさこいや木更津舞尊の結果を受け、少し自信の芽生えてきた僕らは、このおみよさ2011のファイナル通過はもちろん最低限の目標だった。

前週の練習で、「ファイナルに残れなかったら、僕は(責任をとって)よさこいやめます。ファイナルはもちろん、『大賞』を目指します。」とまで、メンバーの前で公言した。

メンバーがそれをどうとらえたかはわからない。けれども、昨年まで何度やっても大賞どころかファイナルの縁にも引っかからなかった舞ちはら全員が、初めて「大賞」を現実として意識して練習した。

何度も何度もやってきて、当たり前になっているはずの事を改めて練習した。ただきれいに並ぶだけの練習、ただ顔を上げるだけの練習、列をそろえて進むだけの練習などなど。そして、どんなチームも絶対必ず言う「声を出せ!」「笑顔を忘れるな!」「歌え!」当たり前だけどこれが何度言ってもできない。最後まで練習課題だった。

よさこいは派手な踊りだけど、実は地味で確実な動作の積み重ねだった。

練習の中で何度も言い合いになった。険悪な雰囲気になったのは一度や二度ではない。うまく踊れず悔し涙を流した事もあった。体調を崩して満足に練習ができないときもあった。

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そんな練習を経て、迎えたのが昨日のステージだった。

最初はステージ演舞。まずは肩慣らし。午前中だけどお客様の入りもまずまず。天気も良くて気持ちよく踊る事ができた。

続いては新設のパレードコース。少々狭い場所だったが審査の事を考えながら思い切り踊る。振り付け師からいくつかの修正点を指摘され、昼食を挟んで練習。

そして、満を持して審査演舞へ。毎年お馴染みの橋の上で順番を待つ。メンバー同士でハイタッチをしたり、握手をしたり、ハグをしたり、お互いの気持ちを高めあう。親しいやつもそれほどでもないやつも、これからの4分16秒はひとつになるんだ。

いよいよ演舞スタート。僕は力の限り、せまい地方車の上からメンバーに声を送った。メンバーは間違いなく今までで最大の声を出していた。100m離れていてもひとりひとりの声がしっかりと聞こえるようだった。踊り、走り、回り、跳んで、歌って、叫んだ。やりきった。できることはすべて。

みんなの顔には満足感が広がっていた。自分たちの出来にファイナル進出を確信することができたからだ。

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そして、ファイナル進出チームの発表のときがきた。ドラムロールとともに最初のチームが呼ばれる。

「YOSAKOI舞ちはら!」

やった!まずは最初の関門通過だ。さあいくぞ!ファイナル演舞だ。

僕らは3番目の演舞順だった。

ステージ裏で待機していて、あと1分くらいで出番だというまさにその時、小さなハプニングが起きる。ジュニアメンバーのひとりが遊んでいて排水溝の網の隙間から、鳴子を下に落としてしまった。網はボルトで留められていて開かない。隙間から手を入れても取れない。落ち込む本人。徐々に肩を震わせはじめる。ジュニア同士みんなが彼をはげます。「大丈夫だからね。」「代表の鳴子借りよう。代表のパワーをもらったよ。」(僕はMCなので鳴子は使わないのだがいつも腰に下げていた。)

舞ちはらの出番がやってきた。僕から鳴子を受け取った彼を中心に、円陣を組んだ。「さあいくぞ!We Are 舞ちはら!」

ファイナル演舞。6年目にして初めて登ったこのステージ。いつもいつも夕日の向こうで悔しさをこらえてファイナルチームの演舞をながめてきた。今日は違う。夕日を背にして光の向こう側に立っている。ついにここまで来たんだ。

僕ら、舞ちはらは力の限りの演舞をした。

「未来へすすむその前に、いまこそ言おう『ありがとう』!」(感謝感激あめあられ歌詞より)

MCをしながら僕は今年のテーマ「感謝」を全ての人に捧げていた。応援してくれた人、本当にありがとう。僕らがここに立って踊れるのは皆さんのおかげなんだ。ありがとう!

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踊りきって、舞台を降りメンバーたちはやりきった気持ちで一杯だった。

僕は他のファイナル演舞を横目で見ながら、ぼんやりと他チームのメンバーとしゃべっていた。話し相手になってくれた彼がポツリと言った。「すんなりとみんなに「いい踊りだって」言ってもらって、結果が出る年もあるんだけど、本当は苦労した年ほど報われない事があるんだよねえ。」その一言に、僕の心の中にあった今までの想いが一気にあふれ出た。涙が止まらなかった。こんなに泣いたのは久しぶりだった。苦労して苦労して、なんでファイナルに進めないだろう?何が悪いのだろう?とずーっと悩んだ年を重ねてきた。それが今年、やっと報われた。あきらめなくてよかった。

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舞ちはらは「準大賞」を受賞した。黒潮よさこい祭りも同じ準大賞だったが、メンバーの反応は少し違っていた。

準大賞はもちろんうれしい。でも、目標としていた「大賞」にはとどかなかった。その悔しさが表れていた。

僕らは成長した。踊りの技術ではなく目標に向かってがんばるというスピリット(精神)が成長したのだ。これはかけがえのない物だ。大切にしていきたい。

帰りのバスの中で僕はみんなにこういった。

「準大賞ってのはまだ目指すものが残ってるってことだよ。まだまだ上をめざそうよ。」

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痛いしっぺ返し

僕はどんなイベントも手を抜いたりせず、全力で取り組んできたつもりだ。だが、やはり人間どこかで気を抜いてしまうこともあるのだ。

今日は地元のちはら台文化祭。僕ら舞ちはらが結成されるきっかけとなった思い入れのあるイベントだ。僕らはいつも全ての演芸のトリをつとめさせて頂いている。それでしっかり演舞をしなくてはならないのだが。

今日は自分にとっての出来は最低だった。

いいわけはいくらでもできる。

毎週毎週のイベント続きでさらに前日も練習があり、疲れがたまってきている事。

わずかながらも遠征のバス代の足しにするため、今日は午前中からチームでフリーマーケットを出店した事。

しかし途中から雨が降り出し商品を動かしたりなんだかんだとどたばたした事。

センターをはじめメンバーの中学生が軒並みお休みでメンバーが少なめだった事。

大旗が2人とも休みで中旗ひとりだった事。

極めつけはいつも演舞前に行っているフォーメーション確認が雨のためにまったくできず、ほぼぶっつけ本番の状態になった事。

さらにさらにステージに出れば出たで、音楽は途中で途切れるし、音が小さくてよく聞こえなかった事。

その割にマイクの音は異様に大きかった事。

そんな事で自分自身がどうも乗り切れなかった。まさにそんな時だった。「感謝感激あめあられ」の途中で、中途半端にジャンプをしたらもろに右足首をひねってしまった。激痛が走ったがMCをやめるわけにもいかず、最後まで右足を引きずりながらなんとか演舞終了。

見て頂いたお客様にはわからなかったかもしれないけど、なんだかもやもやした物が残る演舞だった。

だめだな。どんなときでもベストの状態をお客様に見て頂かなければいけないのに。お客様にとっては初めての舞ちはらだったかもしれないのに。一期一会なのにだ。

気を抜いているからねんざなんぞするんだ。

反省。

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毎年恒例のフリマ。雨のために早めに撤収。

ちばYOSAKOI2011

f:id:motomac:20111029132244j:image:w360:left僕がそもそもYOSAKOIにのめり込むことになったきっかけとなったイベントはこのちばYOSAKOIだ。第1回の2004年に初めて見て、あまりのすばらしさに感動し、自分もいつかはあの舞台に立つんだ!と思った。それから、実際に舞台に立ったのは2年後だった。3年連続で出場してきたが、2009年~2010年は諸事情により開催されなかった。

そして今年、2011年10月29日~30日になんと僕らの地元、市原でちばよさの舞台が復活した。

夢にまで見た舞台は、中断する前のスケールを遙かに超えた大きさで復活した。横幅25mの巨大なメインステージ。2日間完全に公道を通行止めにして行われる全長400mのパレード会場。さらに、千葉中央公園やフクダ電子アリーナ、市原市民会館までもを会場として踊り子を待ち構えていた。

舞ちはらは2日間フルでエントリーし、初日は7回、2日目は5回の演舞を踊りきった。最後のパレード3回連続演舞(2回目は審査演舞)を踊りきったとき、メンバーはみんな涙に暮れていた。やりきった充実感、満足感、開放感…まさに感動が渦のように押し寄せてきたのだ。

しかし、結果としてファイナル8チームに選ばれることは無かった。

初めて乗った”動く”地方車の上からMCをしながら、何となくそんな予感を感じていた。30名弱で挑むにはあまりにも巨大な舞台、県外を含むあまりにも巨大で強豪な他チーム、それに対して僕らの演舞は風車に向かうドンキホーテのようだった。

僕は「悔いは無いんだ。できることはすべてやり、力を出し切ったのだから」と思い込もうとした。

でも、ファイナル演舞を見ているうちにやはり悔しさが押し寄せてきた。

「あのカクテル光線を浴びて踊りたい。」

なんとしても。決してあきらめないぞ。

僕の市民税を派手に使ってあげられた最後の花火に誓った。

余談だが、翌日は原因不明のひどい頭痛におそわれた。声もしゃがれたまま這うように仕事に向かったが、半日は青息吐息だった。