木更津舞尊で学んだこと

10/23は4度目の木更津舞尊であった。黒潮よさこいの勢いをそのままにファイナル進出をめざすはずだったが…

いやな予感は前日の練習からあった。何となく気の入らないメンバー。翌週のちばよさの事も考えて両方のイベントに対応するために、いろいろなパターンを練習したことによる混乱などなど。練習最後に僕も「今日の出来は良くないです。」といわざる得なかった。

それでも、最初のパレード会場に立つ頃は、メンバー同士声を掛け合って気持ちを奮い立たせて、まずまずの演舞ができたと思う。小さな西口会場でもまとまってとてもいい出来だった。そして、いざ東部審査演舞場でのステージ審査へ。

いつものように円陣を組んで気合いを入れる。さあ、いくぞ!

僕らは自分たちの力の限りの演舞をした…はずだった。

ファイナル進出チームの発表の時、なんの「じらし」もなく、あっさりと読み上げられた8チームの名前の中には舞ちはらは入っていなかった。あんまりあっさり過ぎてなんかの間違いかと思ったくらいだが事実だった。

呆然とするメンバーたち。声も出なかった。黒潮よさこいを経験してからは漠然とファイナルは行けるだろうなんていう過信のようなものがあった。だが、それは甘すぎる考えだった。

それからはさまざまな後悔や「たら、れば」などが頭をよぎった。メンバーがみんなそろっていれば(当日は5人欠席だった。)、フロントのラインをもっと下げていれば(観客に寄りすぎて審査員からは横しか見えなかった?)、鳴子を落とさなければ、横列のひろがりやばらつきをもう少し押さえていれば…などなど

僕はもうファイナルチームの演舞を見る気もおきずにひとりコーヒーを飲んでいた。

そして、ふと思った。

一番足りなかったのは「想い」だったのではないか?ファイナルに残りたいという切に思う気持ちが、黒よさに比べて劣っていたのではないか?観客へのアピール、声、笑顔が気持ちとして伝え切れて無かったのではないか?

事実、僕らの演舞を見た観客のひとりからは「胸になんともこなかった。」と言われてしまった。

技術的な云々よりも演舞で気持ちが伝えられなければ、踊っている意味がないのだ。僕らは木更津でそれを学んだ。

基本的なことだけど一番忘れがちだ。

次はちばYOSAKOIだがそれを決して忘れないで踊ろう。

最後に表彰式で審査員特別賞をいただいた。呼ばれた順番が順位だとすると10番ということになる。木更津で何か賞をいただいたのは本当に初めてだったので素直にうれしかった。去年までは雨の中、くやしバナナ(参加賞)を握りしめて帰っていたのだが、今年はラーメンになった(笑)。次は「あさり」が欲しい。

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久しぶりに勢ぞろいした華麗衆(でも誰ももう知らない)

iPhone for Steve

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今話題のiPhone4s。僕は予約を入れて発売日の10月14日に入手した。iPhone3Gsからの機種変になるのでおよそ2年ぶりに新しいiPhoneを手に入れた。

iPhone4sーその名称は9日前に亡くなった、アップルの前CEOスティーブジョブス氏が最後に手がけた製品(実際は違うようだが)という事で”iPhone for Steve”とも呼ばれている。

僕はSteve Jobs氏が亡くなったことを非常に残念だとは思うが、そのニュースに世界中がこんなに大きく反応したことに、何となく違和感を覚えた。かつてはMac使いはマイノリティで革新派で、体制に対して挑戦するイメージの強い会社であった。Appleは今や株式が時価総額で世界一になるような大きな会社になってしまった。それとともにSteveは神格化されちょっと手の届かないところに行ってしまった様な気がしたからだ。僕をはじめ少数の人間が熱狂的に愛するMacから大衆へ。大きくなったんだなあ。

僕がAppleと出会ったのは四半世紀前。職場の先輩のすすめでMachintoshSEを購入したときにさかのぼる。モノクロ9インチのディスプレイの小さなかわいいパソコンはたちまち僕のお気に入りになった。以来、僕の個人的に使用するパソコンはサブマシンをのぞいてはずっとMacだ。iPodも3つ買った、iPhone3Gの発売日には初めて物を徹夜して並んで購入した、iPadが発売になったときは2度目の徹夜。

Apple製品は僕の人生の支えだった。だから僕のハンドルネームは「もとまっく」

Appleが無くては生活も仕事もままならない。

そして、スティーブは僕のあこがれだった。

夢を実現させるためにどんな妥協もしない姿勢。夢を人に語り伝えるための技術のすばらしさ。決してたどり着くことはできないだろうが、僕はスティーブになりたくて、彼について書かれた本をたくさん読み、スピーチを聞いた。1999年2月18日に幕張で開催されたMac world EXPOのキーノートスピーチを聞くために、始発電車で幕張メッセに並び、彼をライブで見た。そればかりか会場を見て回っていたスティーブとバッタリ出くわした。「Hello,Steve!」神経質そうだったが、愛想良く笑って握手してくれた。

そんな彼はもういない。最高のビジョナリストを失ってこの世界は少し色あせたかもしれない。彼には決して届かないけれど、僕は彼の教えてくれた言葉を胸に明日も生きていこう。

Stay hungry! Stay foolish!(ハングリーであれ、バカであれ)

R.I.P Steve Jobs.

黒潮よさこい

f:id:motomac:20111009153046j:image:w360:left昨日は第8回黒潮よさこいだった。おそらく僕のよさこい人生の中で一番、どきどきはらはら、イライラ、ワクワク、いろんな感情が渦巻いた日であった。

黒潮よさこいは、今年度初めての審査が行われるよさこいイベントだったので、当然ファイナルをめざして練習を積んできた。絶対に負けられないという気持ちが強く、それはメンバーも同じだった。

そんな気持ちが銚子入りしてすぐ空回りをはじめる。パレード会場で位置確認の練習をしているときに、メンバー同士がフォーメーションのことでもめはじめる。飛び交う怒号。雰囲気は最悪に。とりあえず通しを1本踊って何とか形を作るが、これで上位なんか狙えるのかと不安になる。

最初はパレード演舞。ここでも踊り子の傘の入れ物が演舞中に壊れるハプニング。見せ場で傘が開かず苦難のスタート。

そしていよいよステージでの審査演舞。「このためにやってきたんだ。」と気合いを入れ演舞を開始。あとでビデオを見たがほぼミスのない素晴らしい演舞ができた。お客様や審査委員も笑顔で楽しんでいただけたようだ。審査委員のひとりからは「採点するのを忘れて見入ってしまった。」とのうれしいコメントまでいただいた。

昼食をはさんでパレードを2回連続で踊る。その1回目は、舞ちはらのイベントに毎回埼玉から来てくれる「T田ちゃんに捧げる演舞」として踊った。ゴールで見ていてくれたT田ちゃんもすごく喜んでくれたようだ。この演舞がまた自分で言うのも何だけど、「秀逸」。誰かを想って踊るのは大切なのだね。

そして、いよいよファイナル進出の結果発表の時が来る。ファイナルは1位~6位の6チームが進出する。まず7位~12位のセミファイナル進出チームが呼ばれる。舞ちはらの名前はない。よし、行けたか?6位、5位と名前が呼ばれていくが舞ちはらの名前は呼ばれない。ついに2位まできて他のチームが呼ばれる。

僕は何度も味わったあのイヤーな予感におそわれた。これだけやったのに13位以下なのか?すると、

「第1位YOSAKOI舞ちはら!」とコール。

なんと1位でのファイナル進出となった。メンバーはみんな抱き合って泣いた。ついに、ついに念願のファイナル進出を最高の形で成し遂げた。

続けてすぐにファイナルのパレード演舞。舞ちはらは抽選で最終6番目の演舞に決まった。涙で乱れたメイクを直し、最後のフォーメーションチェックを行い、満を持して最後の演舞にのぞんだ。ありったけの力を振り絞り、叫び、最高の笑顔を観客へ届けた。曲が終わったときすべてに悔いは無かった。やりきった。

結果発表を待つ間に、演舞を見てくれた、他のチームのメンバーがたくさん僕らのところにやってきて、目に涙をためながら「感動した。おめでとう。」「本当に素晴らしい演舞だった。」と言ってくれた。うれしかった。こんな演舞をできた僕らは幸せだ。

最終結果の発表。メンバーみんなで手をつないで輪を作り、祈るように発表を待った。

~結果は準大賞。最後の最後に他のチームに逆転されてしまった。自分たちのもてるものすべてを出してこの結果だ、悔いはない。

帰りのバスで初めて祝杯を上げて家路についた。ちはら台に帰ってからも近所の居酒屋でもう一度祝杯をあげた。

YOSAKOI舞ちはらは結成7年目にしてようやくメジャーな賞をいただいた。

「めざしたあの頂はまだまだ遠い。」

これはゴールではなく最初のステップと考えて、明日からはまた次の目標をめざそう。

第8回黒潮よさこい祭り結果