2011年3月11日午後2時46分ごろの事だった。春休み中のいつもの穏やかな店内は、急におそってきた激しい揺れで騒然となった。僕はたまたま検収の中でパソコンに向かっていたのだが、店内に飛び出していった。揺れはおさまるどころかどんどん激しくなる。パートさんにレジについて、落ち着いて!と叫んだ。激しい揺れに泣き出す人もいた。商品が棚から落ち始める。ファイルが棚から落ちてくる。パラペット(照明)が激しく揺れる。1~2分も続いただろうか、やっと揺れがおさまった。
僕はみんなに落ち着いて行動するように指示して、自分の家族に連絡を入れるように伝えた。その上ですぐ帰る必要がある人は申し出るように言った。それ以外の人は商品や棚をかたづけるように指示。2階の書籍フロアでは文庫本などが床に散乱していた。さほど被害は甚大ではなかったが、2階はそこで営業を打ち切って閉店を指示した。
1階にはそれでも学内の学生がまだ来店していたために、ある程度営業を続けることを決意。しかし結局15:30に閉めることにした。レジを片付けて店内を整理したところで、今日はもよりの電車が復旧見通しが立たないことを知る。大学は校舎を開放し、帰れなくなった学生をそこに泊める事にした。
僕はその学生達に何かできることはないかと考え、お茶10ケース(240本)とカロリーメイト200箱を配布することにした。生協の職員みんなで台車に商品を載せ、教室前でお茶などを配布。あっという間にみんなに配ることができた。
その後、店を後にして、近くにすむ同僚のお宅に泊めてもらう。一晩中つづく緊急地震速報と余震のためにあまりよく眠れなかった。
翌朝まだ電車が復旧していないとのことでもう一度店に戻ってみる。学生はほとんど残っておらず、雑用をかたづけて動き出した電車でやっとの事で帰宅をした。
今回の地震で災害時には電話やメールはすぐにつながらなくなったが、ツイッターをはじめネットはまったくといっていいほど障害なく、コミニュケーションをはかれた。デマも飛ぶので万能とは言えないがすごいツールだ。
東北地方では甚大な被害でたくさんの犠牲者がでているという。心からお悔やみ、お見舞いを申し上げたい。
でも、外国のメディアにも賞賛されていたが、こんな災害が発生しても、パニックも暴動も起こさず、秩序をもって整然と対応していく日本人であることに、僕は誇りを持った。
必ず復活しよう。必ず復活させよう。
「必ず復活しよう。必ず復活させよう」
…の言葉にじ~ん。
大きな地震でした。恐ろしい地震でした。