「生き切る」という事

先日僕の子供たちが通う中学校のある女の子が、課外活動中に突然亡くなるという事故があった。

軽いランニング中に突然の不整脈のために倒れ、帰らぬ人となった。決して病気であった訳ではなく全く突然の死。本当に気の毒でならない。

娘や妻が悲しみにくれるなか、僕自身はその本人とは全然面識がなかったため、その話を聞いた時は悲しみというよりは驚きが先立った。

しかし昨日その子のお母さんから学校の皆さんへあてた手紙を読んだ。

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「くやしいね」とか「まだまだいいことあったのにね」と声を掛けてくれる方々がたくさんいたけれども、私(お母さん)は娘が短い命という持ち時間を十分に使い切って「生き切った」と感じる。だから他の誰に対しても「彼女の分まで生きて」などということはできない。今生きている自分たちも彼女のように自分の持ち時間をていねいに大切に生き切らなければならないと思う。

と書かれていた。

胸に迫る内容の手紙だった。

僕はその女の子の倍以上生きているけども、果たして「生き切って」いるだろうか。

いや、後悔の多い人生だと思う。手抜きをしたこともいっぱいある。

悔いなく生きて行こうと「言う」事はたやすいかもしれないけれど、実際は難しいだろう。

でも少なくとも自分が死の淵に立つ事になり人生を振り返る瞬間がきたら、「幸せだった」と思えるように生きて行きたい。

彼女のご冥福を心よりお祈りいたします。

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